鰆(さわら)の御神酒(おみき)焼き
食材に酒粕(さけかす)をのせて焼いたものを「御神酒焼き」と言います。 昔から、酒は「百薬の長」と呼ばれていますが、日本酒の薬効成分の多くは、麹(こうじ)に含まれており、麹がそのまま残っている酒粕には、億の薬効が期待できるのです。 最近では、酒粕に含まれる沢山の繊維質や豊富な栄養、機能性が着目されています。 そんな酒粕を使った鰆の御神酒焼きをヘルシ-に美味しく召しあがってみませんか?
食材に酒粕(さけかす)をのせて焼いたものを「御神酒焼き」と言います。 昔から、酒は「百薬の長」と呼ばれていますが、日本酒の薬効成分の多くは、麹(こうじ)に含まれており、麹がそのまま残っている酒粕には、億の薬効が期待できるのです。 最近では、酒粕に含まれる沢山の繊維質や豊富な栄養、機能性が着目されています。 そんな酒粕を使った鰆の御神酒焼きをヘルシ-に美味しく召しあがってみませんか?
新着情報
- 2012年03月05日 料亭で飲みたい日本酒・純米酒
- 2012年03月05日 結婚記念日はお気に入りの料亭で
- 2012年03月05日 ご両親の還暦祝いは料亭で
- 2012年02月19日 最新のミシュランガイド『東京・横浜・鎌倉2011』
- 2012年02月19日 ミシュランの星はどのようにしてつけるのか?
おすすめ記事
【吉兆】吉兆は大阪市に本拠がある日本料理の高級料亭です。創業者・湯木貞一は神戸の料理屋「中現長」の息子でありましたが、家を出て1930年11月21日、大阪市西区新町にて「御鯛茶處吉兆」を開業しました。「吉兆」とは、西宮戎神社や今宮戎神社などで毎年1月10日を挟んで前後3日間に行われる十日戎に授与される福笹につける子宝のことで、福笹自体も吉兆笹と呼ばれており、店名はそれに由来しています。湯木貞一と縁故のあった画家須磨対水により縁起を担いで付けられたそうです。間口一間二分五厘、奥行き六間の狭いごく小さな店舗ながら、料理の良さはもちろん、店のしつらえも食器の類も洒落た小料理店でした。開店日には一人も客が入らなかったという逸話もあり、そこから現在の吉兆を築いた背景には湯木の才能があったと言われています。やがて船場の旦那衆、上村松園や白井半七、高畑誠一、美術商児嶋嘉助らひいきの客もついて繁盛し、店が手狭になってきて、1937年11月に旧南区島之内の畳屋町の新店舗(間口三間、奥行き三十間)に移転します。戦時中も吉兆は大阪府知事河原田稼吉の計らいで特別に営業を続けられましたが、大阪大空襲で畳屋町の店舗が道具類もろとも全焼してしまいました。被災後は芦屋の自宅で「芦屋吉兆」を開店しています。
吉兆の特徴として、日本料理には宮廷料理の系統である有職料理、大名の宴会料理である本膳料理、江戸時代に町人の宴会料理として確立した会席料理などがあげられます。吉兆の料理は、献立や、建具や調度品などを一期一会その場の雰囲気や季節に応じて変える「室礼」に至るまで、茶懐石の影響を強く受けています。これは創始者の湯木貞一が茶道に造詣が深かったことに理由があり、貞一は後に自らの茶道具コレクションを基に湯木美術館を設立しました。また、高級料亭としては珍しく多店舗展開しています。特に東京吉兆の「銀座店」や「ホテル西洋銀座店」、大阪の本吉兆高麗橋店、京都吉兆嵐山店などは、政財界有力者や外国要人の接待で利用されることが多いようです。東京吉兆「ホテル西洋銀座店」は小泉純一郎が首相在任中に度々利用したことでも知られています。
【小松】
小松は、神奈川県横須賀市の米が浜通にある料亭です。1885年の開業以来、大日本帝国海軍の多くの海軍軍人に愛好された料亭として知られ、戦後は在日アメリカ海軍、海上自衛隊関係者に広く利用されてきた歴史から『海軍料亭小松』と呼ばれています。小松は1885年8月8日に、創業者山本コマツによって横須賀田戸の白砂青松の海岸沿いに開業しました。開業当初は白砂青松の海岸で海水浴を楽しんだ後に、入浴と食事を楽しむ割烹旅館であったと考えられますが、日本が海軍力の増強に努め、日清戦争、日露戦争に勝利し、横須賀鎮守府の機能が拡大していく中で、海軍軍人相手の海軍料亭になっていきました。小松を利用する海軍軍人たちは、小松の松にちなんでパインと呼ぶようになったそうです。小松が立地していた田戸海岸は、1913年に埋め立てが行なわれたため、小松は海岸線から離れてしまい、白砂青松の景勝地に立地しているという魅力を失いました。その上第一次世界大戦終了後の恐慌と、恐慌に伴い横須賀市で発生した娼妓の待遇改善を求めるストライキのため、1918年から1919年頃、いったん休業せざるを得なくなってしまいます。1923年になって、当時は風光明媚であった現在の米が浜の地に新たに店舗を建て、小松は営業を再開しました。1945年8月15日の終戦後、小松はいったん閉店され、横須賀に進駐した連合軍によって横須賀鎮守府から退去させられた鎮守府関係者の残務整理のための事務所や、外務省通訳の宿舎となってしまいますが、1945年10月にはGHQ指定料理店となり、横須賀に進駐した主に米兵相手の飲食業を営むようになりました。1952年サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が発効後は、小松は横須賀海軍施設の米海軍軍人、そして海上自衛隊、旧海軍関係者らに広く利用されるようになりました。現在もかつて横須賀市内に多数存在した海軍ゆかりの料亭の中で唯一営業を継続していて、大正、昭和初期の近代和風建築を今に伝えるとともに、東郷平八郎、山本五十六、米内光政らの書など、多くの日本海軍関係の資料を保有していて、料亭小松は近代日本海軍の歴史を伝える重要な存在となっています。
【なだ万】
なだ万は、1830年創業の日本料理店です。長崎出身の初代・灘屋萬助によって大阪に創業されました。現在では、日本国内にレストランの他、25店舗の百貨店などでテナントを置き総菜などを販売しています。日本以外では香港・シンガポール・クアラルンプール・ジャカルタ・北京・上海・広州に店舗を展開しています。戦前から住友財閥・三井財閥・三菱財閥などを含む政財界の要人、夏目漱石、森鴎外などの文豪に親しまれていた料亭です。
【玄冶店 濱田家】
玄冶店 濱田家は、東京都中央区日本橋人形町に本店を構える老舗料亭です。江戸時代には芸者置屋でもあり、「濱田家」出身の芸者といえば有名でした。初代三田五三郎は福井出身で、横浜の「富貴楼」、飯田橋「富士見楼」で修行しています。矢の倉「福井楼」では名人渋谷利紀太郎の後任として料理長につきました。1912年に川上貞奴のいた芸者置屋「濱田家」を料理屋として開業。貞奴が「濱田家の名を継いでくれないか」と云ったというエピソードがあるそうです。1932年から関西の料理人を入れており、現在の料理長南雲和市も関西の料理人です。日本料理研究会の師範を務めていて、関西調理師で構成する古萌会に所属しています。「玄冶店」とは幕府の医官岡本玄冶に由来した地名のこと。
料亭は、主に日本料理を出す高級飲食店です。企業の接待、宴会や商談、要人や政治家の密談等に使われることが多いようです。値段も店により異なり、店によっては芸妓による単価が大幅に異なる無形のサービスが提供されることに伴い、利用料が確実に回収される必要があるので、支払いを保証可能な紹介がないと利用できないところもあるようです。日本文化の集大成の場でもあり、料理・器・数寄屋造り・日本庭園・美術品・調度品・芸妓・邦楽などの正統派の日本文化を堪能することができます。今日では一般に、専任の板前を抱え、座敷があり芸妓を上げるような料理屋のことを指すことが多いのですが、芸妓衆のもてなしを主として酒以外の料理は主に仕出しでまかなう貸席型の業態を料亭と呼称する場合もあります。
今までは、料亭というと未知で閉ざされた空間とされてきましたが、近年では全国的に開放されて、かつて縁のなかった庶民層の利用が増えてきています。しかしながら「一見さんお断り」も一部に厳然としてあるので注意が必要です。その背景には、バブル崩壊や官官接待の激減があげられています。以前までは、企業間の接待や政財界人の利用、官官接待が毎日のように行われてきましたが、現在ではほとんど行われなくなったために、全国の料亭は一般に利用しやすい価格にしたり、スタイルを変えたり、様々なプランやイベントを行ったりし、顧客の誘致をしています。また、近年では大規模な料亭では、結婚式・披露宴に力を注ぐ光景も全国的に見られるようです。
しかし、利用状況の激変、利用客の低下により、閉店してしまう料亭も多いのが現状です。その原因は、料亭側・利用客側双方にあるという見方もあるのです。まず、料亭側は、急激な時代の流れそのものに対応できなかった事と、プライドの高さからなかなか大衆化できないことが上げられます。また、利用する客側も、急に利用しだしたために使い方がわからなかったり、料理の内容や料亭の意味・意義が理解できていないことが上げることができます。利用料金は、基本的には高価で、料理+飲み物+席料または部屋代+サービス料または奉仕料+税が基本で、芸妓衆を呼べばその代金が加算されます。それぞれ各代金は、店や地方によって異なりますが、利用しやすい料金形態になってきているので、すべて込みのプランやセットになった企画も多数でてきているようです。高価・高級というのも料亭の主なイメージです。主役の料理ひとつ取っても、選りすぐりの高級食材を多用し、座敷のつくり、しつらえ、調度品、行き届いたサービス、伝統芸能、その数々が、他の料理店や飲食店と違うところで、高級の由来となっています。たとえば、建物や座敷は現代のテナント業者によるものではなく伝統的な数寄屋造りや日本建築からなっています。器は著名な窯や作者によるものを使用したりしていますし、座敷の掛け軸や絵画、調度品などは日本でも屈指の作家の本物が置いてあることも珍しくはありません。このような調度品は季節や来店時の客の目的等に応じて架け替えられたりと配慮されています。
料理は純日本料理ですが、その日に応じて野菜・魚・肉など最高のものが準備され数日前から支度がはじまり丹念に仕込まれて当日に出されています。予約が必要と言うのはこのためで、座敷や料理に時間が必要であるからなのです。それらの素材の高さもさることながら料理に従事する者の料理における技術の高さも必要で、最低でも10年の修行を経てようやく仕事が内外から認められるようになり、それ相当になるにはさらに期間が必要となります。また料亭は、日本料理を堪能したり、接待や会食の場に利用したり、芸妓衆の舞の鑑賞やお座敷遊びなどの通常の用途の他に、しばしば展示会や各種の催し物の会場にも使われています。